趣味—公共性

東京から考える—格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)
東 浩紀 , 北田 暁大  著

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)


批評家と社会学者が都市について討論するという内容。
実際に都市を歩き回って得たフィジカルな感覚をもとに話を進めるもので、割と平易な文体になっていて読みやすい。哲学やら現代思想の知ったかぶりをしているだけの僕でもなんとか理解できた。


建築家の語る都市論は、エゴイスティックな視線にまみれた、自分の作品のプレゼンテーションのためのものではないかと疑ってかかるべしだけど、そこは社会学者、批評家らしくフェアな視線で、かつ庶民的な視線で都市を捉えていると思う。あるいは、彼らみたいなことを言ってしまうと建築家としては活動できないか足下をすくわれるしかないのかも。だから黙ってモノを提示するという姿勢が、建築家としては賢いのかもね。ただわかってて言わないのか、そもそも何も言う言葉を持っていないのか、その違いは一目瞭然。


この本の内容について触れるとちょと大変なので割愛するけど、ひとつだけ、下北沢再開発についてどう考えるか、ということは現代都市を考える上で大きなテーマになると思うので自分の考えを提示したい。


個人的には下北沢のごちゃごちゃした感じは好きだし、ライブハウスやクラブや古着屋とか、曽我部恵一の店なんかに何回か行ったことがある。だけどそういう楽しみ方ができるのはほんの一部の趣味を持った人たちだけで、他の大多数の人にとってはただ単にごちゃごちゃ汚くて火事なんかが起こったらあっというまに燃え広がる危険な街でしかないでしょ、っていうのがまあ論点になるわけ。一部の人の趣味という問題でこんな街が残されるなんてたまったものじゃないよ、ってこと。


僕の意見ではそういう趣味を持った人たちのそういう部分を補完してくれるような空間というのは絶対必要だと思っているけど、だからと言ってその趣味を共有できない大多数の人を閉め出してしまうことというのは、そもそも多様な人種、文化の共存という観点からすれば正反対のことをしてるわけで、特にそこに昔から住んでいるような人は無視しちゃいけない。だからといって大規模な幹線道路を通すのも暴力なんだけどね。じゃあそこでどうしましょうかって話だと思うんですよね。相容れないものは排除し合うのか、共存の道を探すのか。


精神的マイノリティ性を補完する空間なんてバーチャル・スペースがあるじゃんっていう意見もあるだろうけど、それじゃ引きこもりを増やすだけなんだから、そういう人が街に出られる場所を作るっていうのは大事だと思うんだよね。かといってアキバとか下北とかノスタルジーに支えられている中央線沿線みたいに、一極集中型になって他者を排除するのも問題あると思うわけで、だから僕は共存の道を探りたいんだけど、まあ一筋縄じゃいかんわな。最近流行の私小説的な空間ばかり作る建築家に異を唱えたいのは、こういう想いがあるのです。



趣味—公共性の問題系についてはちょっと色々考えたいことがあるけど、長くなってきたのでまた明日書く事にします。おやすみなさい。






追記:そういえば今年はじめに行ってきたドバイで自分的に衝撃的だったのは、街の中でこういう趣味的な対立がまったく無くて、完全に資本によってフラットに整備された価値観によって街ができていたこと。このへんはやっぱり観光者としての視線しか持ち合わせていないので、そこにどういう対立構造があるかはわからないけど、あれだけ躊躇なく開発しまくるっていうのは、そういう葛藤なんてないんだろうなと思わざるをえない。たぶんあそこには趣味の問題なんてなくて、全てが公共の価値観に支えられてるような気がするのだけど、それはそれで恐ろしい世界である気がする。つまり、ドバイにいる人口の90%を占める移民の人々は、それぞれの宗教の違い、肌の色の違い、価値観の違いなどが資本の原理のもと全てフラットにさせられている。少なくとも公共空間の中では。<今日のBGM>
会社の先輩がキース・ジャレットを聴きたいというので貸してあげるために、ちょっと聴き直してみた。
ツタヤにあるんだから自分で借りろよ


The Melody At Night, With You

The Melody At Night, With You

これは高校の時に初めてきいたキース・ジャレットのCDで、大好きで何度も聴いた。センチメンタルなソロ・ピアノ作品。暗い高校生だぜ。



生と死の幻想

生と死の幻想

アメリカン・カルテット』による演奏で、パーカッションを使った、スピリチュアルな要素が強いアルバム。アルバムの表題曲は23分ある大作で、精神世界への旅にはもってこい。