プレッシャー

難しい現場に追われてて、ここ二ヶ月くらい気持ちが休まらない。
弊社でもやったことのない納まりが多数あり、工期、施工性、安全性にがんじがらめになりながらうまくいくかどうかひたすら考え続ける。夢にも出てくる。
他の仕事の締切にもいくつか追われてるので、ゆっくり考えてる時間もなく。時間も人的資源も物的資源も有限であることを日々痛感する。


実験でもしない限り、いくら考えても答えが出ないこともあるわけで、最終的にはある程度エイヤでいくしかないんだけど。


世の中の設計者は、みんなこれくらいのプレッシャーに堪えて仕事をこなしてるんだろうか。この仕事一生できるのかな。


全然関係ないけど、新しいカメラを買ったので撮った写真を貼ってみる。庭園や植物園に行ってひたすら写真を撮るのが至福の時間です。カメラについてはまた色々書きたいな。


6年ぶりの更新

故あってブログの公開をずっと停止していたので、かつて見ていた人で今さらここを見る人なんてもはや誰もいないと思いますが、ひっそりと更新。

過去の記事を見返すと、こんなこと考えてたんだなあとか色々発見がありますが、最後の更新は構造設計事務所に転職したことでした。

つまり勤続6年程になるわけですが、色々経験させてもらったことで技術的には色々と吸収することができました。一方で、アトリエ系構造事務所の激務とプレッシャーでずっと体調とメンタル面を崩し気味だったことは否めません。



ブログの更新をずっとやめてたのは、時間がなかなかとれないこと、また世の中に発信するものとして漫然としたテーマで書いても、この途方もないビット数が渦巻くネットの海にしょうもない一滴を垂らしても無駄だなあ思ったのが理由です。



最近になってようやく、おぼろげながら自分の立ち位置みたいなものと、アトリエ系事務所の激務の中で健全な身体とメンタルを保つためにどうやって働けばいいかみたいなことが見えてきたので、今後そのあたりを発信できれば、自分の考えを整理しつつ少しは人の役にたつ情報が発信できるかなと思って、ぼちぼち更新を再開しようかなと思ってます。


ここで続けるのもアレなので、また新しい形にしたいと思ってますが、とりあえず今回は以上。

最近のことごと。

ご無沙汰しておりました。

放置してる割にアクセス数がけっこうのびたなーと思ったら「オーサグラフ」で検索してきてる人が多くて、どうやらラジオで取り上げられたそう。放送日のアクセス数だけびよーんと2000近くになってました。
まあ僕は展示見ただけでご本人とも面識ないし無関係なんですけどね。



放置している間に色々なことがありました。


まずはなんと言っても地震ですね。
犠牲者・被災者、またそのご家族の方の辛さ、大変さは僕の想像を絶するものかと思い、偉そうなことを言える立場ではありませんが、哀悼の意と、また復興、救助、原発の作業にあたられてる方々に敬意の念を表します。



地震が起こったとき、僕は会社でPCに向かってましたが、激しい揺れによって本棚という本棚から無数の書籍や図面、計算書がばさばさと落ちて来て大変な状態になりました。
築40年8階建てのビルは耐震改修しているとはいえ揺れが激しく、振動するたびにあちこちからミシミシという音をたてて、躯体に亀裂の入った箇所もあります。



電車が動かず、路上に溢れる人々にもまれながら歩いて帰ったことはたぶん一生忘れないでしょう。一人でいるのは不安だったし、心がざわついてまったく落ち着きはなかったけど、幸いだったのか、前の職場の仲間が帰れないからといって4人僕の家に泊まりにきまして、そこで関係ない建築の話などをしたおかげで大分気がまぎれました。



でもやはり頭から離れないのはあの恐るべき津波の映像。
あの津波の後では、どんな終末思想も語り得ず、エヴァンゲリオンも完璧に過去のものになった。
僕が一時期熱をあげていた社会性を問う現代美術だってもはや効力を持ち得ず、買い占めによってガラガラになったスーパーやコンビニの棚こそが、まさにハプニングアートに取って代わった。
「希望は戦争だ」とのたまっていた人は希望を見いだせただろうか。



今一番ホットな話題であり、やり玉にあげられるのは、エンジニアリングである。
原発、耐震設計、都市計画などなど、これほどエンジニアリングが取りざたされるのは近代以降初めてではなかろうか。



そして私事ですけど、4月1日より無事に入社できました。
それこそ構造エンジニアリングの会社。
寄付ができるほどお金もない僕にできることは、早く仕事を覚えて、誠実に仕事をこなして経験を積んでいくことしかないと思う。


アートとエンジニアリングの違い。
あるひとつの世界観を規定し、物を作り上げるところまでは一緒。
ただエンジニアリングにはアイロニーはなく、誰にでも伝わる言葉と成果物で、正確に自分の意思を伝えることが必要条件。

そしてアイロニーは死んだ。



たぶんこのことが、僕が今まで生きてきた中でようやく見つけた答えであり、出発点であると思う。

なんか最近

思考停止気味である。
まあ脇目もふらず日々の仕事をこなし、構造を自習してるのでまあ悪いことではないかもしれないけど。とりあえずこういうところに文章を書くような頭脳モードにはなってない。

本読んでないせいかな。


たまには小説とか読みたいけどな。


これが理系脳というやつか、、、!


構造計算やるためには理系脳必要だけど、文学的素養も失いたくはない。


二兎を追うもの一兎をも得ず、、、か?



というわけで本の紹介。

Footbridges―構造・デザイン・歴史

Footbridges―構造・デザイン・歴史

「Footbridges」


歩道橋の作品集。構造物としての美学から設計プロセス、思想に至るまでをまとめた名著の日本語版が遂に刊行。読めないのに英語版で買おうと思ってたくらいなので嬉しい限り。先日書店でパラパラとめくってきたけど、是非手元に置いてじっくり読みたい一冊です。しかし難点は、、、高い!今の生活じゃ買えねえなぁ、、、。でもそのうち絶対買う。

街のふしぎ

建築プロパーでない友人に建築設計の説明をするときに、タイル目地のひとつひとつまで全て図面で描くんだよという話をすると大抵驚かれますけど、そのことで自分自身が昔抱いた感覚でちょっと思い出したことがあるので記しておきます。



それは小学校2,3年のころだったと思うけど、僕の住む街の建物ひとつひとつや、道路の舗装、そこに立つ標識など、自分を取り巻くありとあらゆる環境の全ては誰かによって図面を引かれ、人の手によって作り上げられたということを初めて意識したときのことで、僕はその瞬間、目に入ってくる環境全てが途方も無い情報量を持って脳内に溢れこんできてしまい、くらくらになって立っていられなくなるほどの衝撃を受けたのです。

例えば、車道と歩道との段差やちょっとした傾斜、階段の端っこにある排水のための小さな溝、ひとつひとつ違う形で舗装されたモザイクタイル、家の玄関ドアについた凝った形のドアノブ、、、それらの全てが。




ちなみに初めてこの感覚に見舞われたのはオランダに住んでいる頃だったのをはっきりと記憶している。一般的な小学生がこういうことを考えるかどうかはわからないけど、オランダ国土はその多くががポルダー、すなわち人の手による埋立地であるという話を聞いていた要因が大きいと思う。

その時から、僕は街に対して異常な興味を示すようになって、一人であちこち歩きまわってはよく迷子になる子供でした。(そして今でもそれは変わってない。)





だから僕が建築学科に進んだのは、自分をとりまく世界が必然的に持っている不思議さを解明したいという思いが強かったんだろうと思っていて、つまり建築設計を勉強することで、僕らが住む街を作った先人達の業績をトレースすることだけが、子供の頃に街に対して抱いた感情に限りなく接近するための唯一の方法だからなのかも。


でも、
実際に自分で建築に関わってみて思ったことは、ひとつひとつの設計行為は身近な問題を解決していく非常に地味な作業であり、誰が街を作ったのかということは明確に言えないということ。例えばすごくつまらない住宅ばかりが建っていたとしても、街全体としてどうしても面白くなってしまうということはあって、つまり街とは個人の意思では手に負えない出来事なのです。いくら個々の設計を突き詰めてもそこにはどうやったって到達できず、やっぱり街っていうのは不思議だなぁと、思う次第なのです。

☆お知らせ☆

このブログで検索語ランキングでスティール・ボール・ラン分析の記事ですけど、あまりにしつこい文章な上ストーリーが続くにつれ解釈が変わってきたので、消去しました。これでアクセス数減りそうだな、、、。しかし漫画レビューをすればアクセス数が伸びることを学習したッ


しかししばらく放置してる間にはてなの仕様が変わって日記の書き方とかすげーわかりにくくなったなぁ。ちょっと研究せねば。やっと見出しのつけ方わかった。