最近のことごと。

ご無沙汰しておりました。

放置してる割にアクセス数がけっこうのびたなーと思ったら「オーサグラフ」で検索してきてる人が多くて、どうやらラジオで取り上げられたそう。放送日のアクセス数だけびよーんと2000近くになってました。
まあ僕は展示見ただけでご本人とも面識ないし無関係なんですけどね。



放置している間に色々なことがありました。


まずはなんと言っても地震ですね。
犠牲者・被災者、またそのご家族の方の辛さ、大変さは僕の想像を絶するものかと思い、偉そうなことを言える立場ではありませんが、哀悼の意と、また復興、救助、原発の作業にあたられてる方々に敬意の念を表します。



地震が起こったとき、僕は会社でPCに向かってましたが、激しい揺れによって本棚という本棚から無数の書籍や図面、計算書がばさばさと落ちて来て大変な状態になりました。
築40年8階建てのビルは耐震改修しているとはいえ揺れが激しく、振動するたびにあちこちからミシミシという音をたてて、躯体に亀裂の入った箇所もあります。



電車が動かず、路上に溢れる人々にもまれながら歩いて帰ったことはたぶん一生忘れないでしょう。一人でいるのは不安だったし、心がざわついてまったく落ち着きはなかったけど、幸いだったのか、前の職場の仲間が帰れないからといって4人僕の家に泊まりにきまして、そこで関係ない建築の話などをしたおかげで大分気がまぎれました。



でもやはり頭から離れないのはあの恐るべき津波の映像。
あの津波の後では、どんな終末思想も語り得ず、エヴァンゲリオンも完璧に過去のものになった。
僕が一時期熱をあげていた社会性を問う現代美術だってもはや効力を持ち得ず、買い占めによってガラガラになったスーパーやコンビニの棚こそが、まさにハプニングアートに取って代わった。
「希望は戦争だ」とのたまっていた人は希望を見いだせただろうか。



今一番ホットな話題であり、やり玉にあげられるのは、エンジニアリングである。
原発、耐震設計、都市計画などなど、これほどエンジニアリングが取りざたされるのは近代以降初めてではなかろうか。



そして私事ですけど、4月1日より無事に入社できました。
それこそ構造エンジニアリングの会社。
寄付ができるほどお金もない僕にできることは、早く仕事を覚えて、誠実に仕事をこなして経験を積んでいくことしかないと思う。


アートとエンジニアリングの違い。
あるひとつの世界観を規定し、物を作り上げるところまでは一緒。
ただエンジニアリングにはアイロニーはなく、誰にでも伝わる言葉と成果物で、正確に自分の意思を伝えることが必要条件。

そしてアイロニーは死んだ。



たぶんこのことが、僕が今まで生きてきた中でようやく見つけた答えであり、出発点であると思う。