街のふしぎ

建築プロパーでない友人に建築設計の説明をするときに、タイル目地のひとつひとつまで全て図面で描くんだよという話をすると大抵驚かれますけど、そのことで自分自身が昔抱いた感覚でちょっと思い出したことがあるので記しておきます。



それは小学校2,3年のころだったと思うけど、僕の住む街の建物ひとつひとつや、道路の舗装、そこに立つ標識など、自分を取り巻くありとあらゆる環境の全ては誰かによって図面を引かれ、人の手によって作り上げられたということを初めて意識したときのことで、僕はその瞬間、目に入ってくる環境全てが途方も無い情報量を持って脳内に溢れこんできてしまい、くらくらになって立っていられなくなるほどの衝撃を受けたのです。

例えば、車道と歩道との段差やちょっとした傾斜、階段の端っこにある排水のための小さな溝、ひとつひとつ違う形で舗装されたモザイクタイル、家の玄関ドアについた凝った形のドアノブ、、、それらの全てが。




ちなみに初めてこの感覚に見舞われたのはオランダに住んでいる頃だったのをはっきりと記憶している。一般的な小学生がこういうことを考えるかどうかはわからないけど、オランダ国土はその多くががポルダー、すなわち人の手による埋立地であるという話を聞いていた要因が大きいと思う。

その時から、僕は街に対して異常な興味を示すようになって、一人であちこち歩きまわってはよく迷子になる子供でした。(そして今でもそれは変わってない。)





だから僕が建築学科に進んだのは、自分をとりまく世界が必然的に持っている不思議さを解明したいという思いが強かったんだろうと思っていて、つまり建築設計を勉強することで、僕らが住む街を作った先人達の業績をトレースすることだけが、子供の頃に街に対して抱いた感情に限りなく接近するための唯一の方法だからなのかも。


でも、
実際に自分で建築に関わってみて思ったことは、ひとつひとつの設計行為は身近な問題を解決していく非常に地味な作業であり、誰が街を作ったのかということは明確に言えないということ。例えばすごくつまらない住宅ばかりが建っていたとしても、街全体としてどうしても面白くなってしまうということはあって、つまり街とは個人の意思では手に負えない出来事なのです。いくら個々の設計を突き詰めてもそこにはどうやったって到達できず、やっぱり街っていうのは不思議だなぁと、思う次第なのです。