大友良英 3DAYS2日目@新宿ピットイン



1st:大友良英(P,electronics,パフォーマンス) +吉増剛造(朗読, パフォーマンス)+飴屋法水(パフォーマンス)
2nd:大友良英(G)+水谷浩章(B)+芳垣安洋(Ds)


大友良英が5つのトリオを組む3days。
1stは完全に非楽音の演奏で、主に飴屋法水が出した音をピアノの弦と共鳴、反復、増幅させることで音を作ってた。と思うんだけどどうでしょ。ものすげえ迫力で鳥肌が立った。


2ndではなんと大友良英の心意気(?)により、観客をステージ上に上げて演奏者を取り囲む形での演奏。当初のもくろみでは楽器を会場の真ん中において無指向性のパフォーマンスをやりたかったみたいだけど、予想以上の客の入りに会場側からNOが出たとのことで、とにかく入れるだけ入れるということで演奏者とステージ後方の壁の隙間に所狭しと並んで鑑賞。運良く芳垣さんの真後ろの位置につけて見ることができたけどこの迫力がすごいのなんの。正面から見るのとは全然違う視点で、芳垣さんが高速で道具を持ち替えながらの超人的なドラミングをあの角度から見れるなんてまずないんじゃないか。演奏者同士がどういうふうに目配せをしながらやっているかまでわかるし、文字通り息づかいまで聞こえる。大満足です。



大友さんのスタンスは音への追求はもちろんのことだけど、何より音が発生することによる周りとの関係性のあり方を主題にするというものだと思う。
大げさに言えば理想的な共同体のあり方を音楽によって提示しているのではないか。その理想というのは、あらゆるものが開かれていて、ヒエラルキーは存在しないけど、個々人同士がお互いを殺し合わずに共存するというもので、いわゆるフラットとはまたちょっと違うし、いわゆるビバップのアドリブのかけあいのように語法が通じる者の中だけの閉鎖形ともまた違う気がする。
それが一番明確に現れているコンセプトモデルが『サンプリング・ウイルス計画』なのかな。
でも大友さんもまぎれもない一個人であって、それのぶつかりあいという意味ではやっぱりライブが一番です。



カルスタではお約束のクラブカルチャーも開放形だけど、あれは均質なビートと空間の中で等質なものを皆が同じように享受するというもので、人間の原始的な欲求の解放の場としてはすごい力を持つけど、大友さんはこれとは別の共同体のあり方を示していると思うのです。大友さんの共同体は開放形だけど徹底的に不均質だから。(これがマルチチュードってやつなんですかね?)


(写真—いつもは逆側からみている芳垣さんの後ろ姿。撮影は禁止だというので演奏が始まる前に撮りました。これが歴代のジャズ・スター達が目にした光景かと思うと感慨深い。)

サンプリング・ウイルスのトラック集はこれ↓

Night Before

Night Before