新しい世界地図:オーサグラフについて




日曜日。朝8時半頃に目が覚めてああ今日は早起きだ、時間が有効に使えるなとmixiなど閲覧して油断してたらついつい2度寝してしまい目覚めたら11時頃。なのにまたもや小一時間程mixiアプリテトリスに興じてしまう。落ちものパズル系のゲームは昔からなぜか得意で、ベストスコアで1万9000点台の記録をとったがどうも3万点以上とる人がいるらしい、という情報。自分のやり方もまだまだ無駄が多いので、それを限りなく省いていけば2万3,4000点くらいはいけそうな気もするが、それ以上は理論上不可能ではと疑問に思っていたがどうもT-SPINという技があるらしい。T字型のブロックを回転させながら隙間に潜り込ませる方法で、これで3列消せばテトリス棒で4列消すよりもはるかに高い点数がとれる。早速試してみたがかなり積み方がむずい上に、最高でも4連続で消すとその後どう続けてよいかわからない。ので結局あきらめた。


T-SPINのやり方はこれ↓





午後は洗濯をして、そのついでに3年間放置しっぱなしで絶望的に汚れているバルコニーの床を、先日やっとこさ買ってきた水道ホースで徹底的に掃除した。結局ブラシと洗剤がないとちゃんと綺麗にならないことがわかったけど、まあとりあえずはおk。これを書いている最中確認のためにもう一度見てみたけどかなりきれいになっていて思わずにやにやしてしまった。


その後溜まっている読書を片付けるべく読書に専念。リベスキンドの自伝、『ブレイキング・グラウンド』を読んでいる。









それから初台のオペラシティまでチャリを走らせて、ICCで行われているコープ・ヒンメルブラウの展示を見た。ヴェネチアビエンナーレで展示された作品の巡回で、インスタレーション作品が2作品、かなり大きいのがあって、ビジュアル的にかなりインパクトがあってかっこいい。けど正直なところあんまり感心はしなかった。人が中に入って電極に触れると、心拍が映像と音によって表現されるという作品だが、元々は1969年に発表されたアイディアを、最新の技術でバージョンアップしたものということ。40年経った今となっちゃぁ、こういうメディア系のインスタレーションも結構食傷気味。もうひとつ都市計画のインスタレーションもあったけどあまり実効性も感じられないしよくわからなかった。










ICCにいったもう一つの目的はオープンスペースで展示されている、前もこのブログで紹介したオープンリールアンサンブルを見るためで、今回はリモコンで操作することもできた。かなり楽しい展示で、操作できるのが一人だけなんだけど夢中になっていじってると後ろに長蛇の列ができてしまいあんまり没頭できない。。。10/17に制作者の和田君のトークイベントとライブがあるのでいくつもり。










オープンスペースで見つけたもうひとつの興味深い展示が、最新の世界地図の図法で「オーサグラフ」というもの。展示としては地味で、ほとんどの人が一瞥しただけでスルーしていたけど、はっきり言ってこれが一番イノベーティブで実効性のあるものだったと思う。現在僕らがよく目にする四角形の世界地図は、おなじみメルカトル図法(今の今まで「メカルトル図法」だと思っていた。変換できなくてあれ?あれ?と思い気づいた。恥ずかしい、、、)で描かれているが、これは例えたら球体を一直線に切って平たく延ばし、さらに四角形にするために球体のはじっこ、つまり赤道を中心とする一番端の北極と南極を拡大させたもので、これは緯度を上がるごとに、または下がるごとに歪みが生じるという欠点があり、位置関係も本来のそれとはかなりズレてしまう。例えば飛行機の軌道を示す線が、本来は真っすぐであるはずなのに平面で示すと弧を描くというように。


オーサグラフはその欠点を改良した図法で、具体的な方法はここで紹介できないけどイメージ的には、引き延ばす場所を南極と北極という極点ではなくて、地球を三角形で96分割していった個々の部分に分散させることで、極力歪みを少なくするというもの。これで面積だけでなく、位置関係も正確に描けるようになるらしいが、実際にオーサグラフで描かれた地図を見ると今まで慣れ親しんだ地図とのあまりの違いに唖然としてしまう。ノーテーション(表記)の問題というのは実はかなり根深い問題で、これによって我々の感覚に決定的な影響を及ぼすことに、気づく人は案外少ない。これからは教育現場、医療現場ではこれがメジャーになっていく傾向にあるらしいというので、オーサグラフを見て育った子供はおそらく僕らと世界の認識の仕方がかなり変わるのではないか、という淡い期待を持ってしまった。それがどういう影響を及ぼすのかはわからないけれども。

これを考案した鳴川氏は建築構造家のようである。こんな人がいたとは。。。かなり気になる。





しかしもうひとつの記述の例として、バックミンスター・フラーが考案したダイマクシオン地図というのがあったけどこれは初めて見てくりびつてんぎょうした。世界を正確に記述しようとするとじぐざくになってしまうのである。








最近常々思うけど、芸術は科学無しには成り立たない気がする。
人間の創造力がなくなったといいたいわけではない。いやむしろ、そんなものたかが知れてるし、信用してない。巷で言われる個性の追求なんていうのは無個性の量産にしかならない。
芸術肌の人には科学を嫌悪する人もいる。逆である。科学的なものに、最先端の技術に、神聖さが宿る。歴史もそれを証明しているでしょ。





link
コープ・ヒンメルブラウ 《回帰する未来》
和田永《コンポジション・イン・モーション》
鳴川肇《オーサグラフ:ISSロングターム・トラッキング》