銀座にて

今日の仕事は休み明けということもあってなかなか調子が出ず、進みが遅かった。
休んだからといって遅くなってしまうのは言い訳にならないっすよね、、、反省してます。
退社後、先輩の金子さんと銀座で飲む。飲む。飲む。
独立するときの事務所の名前を何にするかで話が盛り上がるところあたりが、ダメなところだな。
とりあえず自分のこれからの方向性について語り、現代の建築界について語り、どの建築家は評価できてどの建築家は評価できないかについて語る。僕らの見解として共通しているのは、建築に限らず、ものを作ったり表現するにあたって、自分の身体感覚から出てくるもの、要は何を守りたいか、ということが、表現に直結していないものはダメだということ。


その視点からポピュリズムを考えたときが微妙な話で、金子さん的には有無を言わさずダメだということだけど、ポピュリズム=身体感覚と剥離しているという話でもない気がする。やむにやまれずポピュリズムに陥るということが、おそらくあるはずだと自分の中では思っているけれども、それをうまく言語化できない歯痒さ。カルチュラル・スタディーズっていうのはおそらくそういうものを言語化する試みではないのかな、とは思うけれども、何ぶんまだ知識が浅はかすぎるので断定できない。


あとは、やはり古い言い方だけれどもモノが持つ力というものはあるわけで、それは言語化できるものをはるかに凌駕しているものであるわけで、今月号の新建築に載っていた横河健先生の作品なんかは、もうそれが圧倒的にずば抜けていると思う。陳腐な1000の言葉で彩られた作品よりそれがどんなにすごいものか。カルスタが否定されるべく点というのはおそらくここにあって、要は自分自信の問題にしか言及していない。自分自身の問題を拡大すれば社会の問題になると言われればそれまでだけれども、モノを作る視点に立てば、それでは不十分だってことは十分承知しています。
こういう言い方って古いのかもしれないけど、やっぱりそこに還ってしまうわけなんです。ちょっと酔ってますけどすいません。風呂入って寝ますよ。ではまた明日。